スリランカの旅のことなら

バワ建築

ジェフリー・バワの世界

スリランカが生んだ天才建築家、“ジェフリー・バワ”。バワは、あのアマンリゾーツに代表されるアジアン・リゾート建築に大きな影響を与えたアジアが誇る建築家として、近年、日本はもちろんアジアで大きな注目を集めている。バワの建築スタイルは「熱帯建築」または「トロピカル建築」とよばれており、アマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカー、その多くののホテルを設計した建築界の大御所ケリー・ヒルをはじめ、ホテルや住宅を手がける建築家やインテリア・デザイナーたちが参考とする一つのバイブル的存在である。その建築の特徴は、それまで建築界の主流とされていた“西洋建築”とは異なる新しい価値観をベースとしたもの。建築物の内部空間とそれを取り巻く外部空間を塀や壁で仕切ることで、外敵や自然の驚異から人間を守ることを重視している西洋建築のコンセプトとは異なり、建物とそれを取り囲む外部空間を「連続する空間」とすることに価値をおき、二つの空間を隔てる仕切りを最小限にする、「空間の連続性と開放性」を重視した建築である。外部空間と連続性をもたせた建築とは、外部空間を創り上げているその場所独自の自然特性・景観・風土を活かした内部空間=建築物を設計することがその「必然」として要求されることである。バワの弟子たちに、「バワから学んだことは何ですか」という質問をすると共通して返ってくる返事の一つに「設計をする前に、一定期間、まずはその地域の自然特性や歴史文化、地域の人々の住まい方を徹底的に調査研究すること。」というものがある。それはつまり、外部空間と内部空間の共生=地域環境と建築物の融合の上に成りっている空間を生むということになる。今でこそ、地域性を活かしたその土地・国独自のオリジナリティあふれる豊かなデザインはアジアン・リゾートの代名詞として当たり前のように存在しているが、その潮流をつくったパイオニアは、スリランカという豊かな自然に囲まれた、また、西洋と東洋の歴史文化が交差する海のシルクロードの拠点であったスリランカに生まれ育ったジェフリー・バワであったことは意外と知られていない。2003年に享年84歳で生涯を終えたバワ。彼の作品は、今なお彼の故郷であるスリランカに旅人が訪れることができるホテルとして数多く残っている。

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ジェフリー・バワ
Geoffrey Bawa

古くからスリランカは、東洋と西洋を結ぶ中間地点にあるという立地の特徴から、外国からの人と文化が流入し、様々な文化が交差する交流地点としての役割を担ってきた島国である。このように東洋と西洋が入り混じった環境をもつスリランカで、1919年、ジェフリー・バワは複数の文化的ルーツを持つ裕福な両親の下に誕生。弁護士であった父親はアラブ系弁護士の父(バワ父方の祖父)とフランス系イギリス人の母(バワ父方の祖母)を持ち、バワの母親は、オランダ系バーガー人の父(バワ母方の祖母)とスコットランドとシンハラの混血の母(バワ母方の祖母)をもったまさにスリランカの歴史文化を象徴した家庭の次男として生を受けたバワは、コロンボの上流階級の家庭で何不自由ない少年時代を過ごした後、コロンボの大学を卒業後、19歳でイギリスに渡り、1941年にケンブリッジ大学にて文学士の学位を取得(英国文学専攻)。その後、法律を専攻し、1943年にロンドンにて法廷弁護士の資格を取得。いったん弁護士になったものの、すぐに自らの原点を探し求めるかのような2年間の世界周遊の旅へ出発。後のバワの建築スタイルに影響を与えたとされるイタリアの庭園やヴィラは、この旅の中で出会ったとされている。帰国後、バワの兄であるベイビス・バワがベントータに「ブリーフガーデン」という自らの理想郷を創ったことに感化され、バワも自らの理想郷づくりを目指しベントータに広大な土地を買い、後に彼の最高傑作といわれる「ルヌガンガ」づくりに着手する。法律から建築への道へ転向を決意したバワは、建築・造園の基礎を学ぶため、再度イギリスへ渡航。ロンドンのAAスクール(Architectural Association School of Architecture)にて建築を学び帰国した後、1957年、38歳のバワは、遅咲きの建築家として、スリランカをベースとして建築家としての人生を歩み始める。 建築家としてのスタートは遅かったものの、2003年に84歳で亡くなるまで、バワはスリランカ国内・国外にて精力的にて作品づくりを行う。そのほとんどがスリランカにあり、手がけた作品はホテル建築に留まらず、個人宅から、スリー・ジャヤワルダナプラにある国会議事堂、マータラのルヌフ大学、コロンボ市内のベイラ湖に浮かぶ仏教寺院など、多岐にわたっている。また、バワは建物のみならず、椅子、机、ベッド、置物などの家具や調度品といったインテリアをデザインするほか、建物と連続性をもつ屋外=庭の設計にも力をそそぐ。バワにおける設計とは、建物の設計を意味するのではなく、建物、庭、自然、景色、インテリアといった空間を構成する全ての要素全体を設計することであり、それがバワの独特な美の空間・世界を築きあげたといっても過言ではない。

ルヌガンガ
Lunuganga

Lunuganga

バワが50年の歳月かけて自らの理想郷として創りあげてルヌガンガ。平日はコロンボで過ごし、週末はここに滞在しながら、試しては崩しまた試すという「実験」を繰り返しながら、自分が理想とする究極の空間づくりを行った場所。2年間の世界巡りの旅で訪れたイタリアでバワが惚れこんだといわれるイタリア式ヴィラと庭園のテイストと、熱帯がもつ独特な空気感が混在する空間だ。現在は、ホテルとして営業しており6つの客室に宿泊が可能なほか、ガーデンツアーで庭部分を訪れることも可能(要予約)。2003年にその生涯を閉じたバワが眠る丘はバワの生前そのままの姿を残している。

No.11
Number 11

Number 11

コロンボ中心部にあるバワの住居兼オフィス住居。当初は一ブロックのみを所有していたバワであるが、その後徐々に敷地を買い足し、最終的には3つのブロックをつなげて1つの居住空間としたユニークな形をした建物。住居の中は、バワらしい屋内と屋外をつなぐ仕掛け空間がいくつも存在している。また、この場所のみどころは、バワの嗜好を知ることができる彼自身が収集した外国のアンティーク家具、愛車、大小さまざまなインテリア・コレクションなど。現在、No.11のゲストルームに宿泊が可能(ベッドルームは2部屋だが、バスルームは1つなので1組の滞在が可能)。

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