Geoffrey Bawa
1919年、東洋と西洋が入り混じった環境をもつスリランカで、複数の文化的ルーツを持つ裕福な両親の次男としてジェフリー・バワは生まれた。コロンボの上流階級の家庭で何不自由ない少年時代を過ごした後、コロンボの大学を卒業。19歳でイギリスに渡り1941年にケンブリッジ大学にて文学士の学位を取得(英国文学専攻)する。その後、法律を専攻し、1943年にロンドンにて法廷弁護士の資格を取得し一度は弁護士になるものの、すぐに自らの原点を探し求めるかのような2年間の世界周遊の旅へ出発した。のちのバワの建築スタイルに影響を与えたとされるイタリアの庭園やヴィラは、この旅の中で出会ったとされている。旅行から帰国したバワは、兄のベイビス・バワがベントータに「ブリーフガーデン」という自らの理想郷を創ったことに感化され、バワも自らの「理想郷づくり」を目指しベントータに広大な土地を買い、後に彼の最高傑作となる「ルヌガンガ」造りに着手した。
法律から建築への道へ転向を決意したバワは、建築・造園の基礎を学ぶため、再度イギリスへ渡航。ロンドンにて建築を学び帰国した後の1957年、38歳の時、スリランカを拠点に建築家としての人生を歩み始める。 建築家としてのスタートは遅かったものの、2003年に84歳で亡くなるまで、バワはスリランカ国内外にて精力的にて作品づくりを行い建物のみならず、椅子、机、ベッド、置物などの家具や調度品といったインテリアをデザインするほか、建物と連続性をもつ屋外=庭の設計にも力を注いだ。バワにおける設計とは、建物の設計を意味するのではなく、建物、庭、自然、景色、インテリアといった空間を構成する全ての要素全体を設計することで、それがバワの独特な美の空間・世界を築きあげたと言える。